2023年07月23日
先週ジブリの新作「君たちはどう生きるか」が公開された。ポスター1枚のみ公表し、広告を全く打たないという斬新なマーケティング戦略により、初期に鑑賞する人たちは一切事前情報がない中で新作のジブリ映画を観るという贅沢な体験ができる。観客の評判なども含めて、少しでも事前知識を入れた上で映画を観るとある程度自分の受け取り方もそれに左右されてしまい、今となっては本当に白紙の状態でその映画を観ることはもうできない。なので現在日本にいない私は、日本在住者がちょっと羨ましい。
「君たちはどう生きるか」の代わりという訳ではないが、今日はクリストファー・ノーラン監督の最新作「オッペンハイマー」を観てきた。日本では劇場公開が未定で、そもそも公開されるのかも分からない状態なので、日本人としては早めに観ている方だと思う。 これから徐々に日本語でもこの映画についての様々な記事、感想、意見が出てくると思うので、それらにあまり影響されないうちに自分も思ったことを書いておきたい。
まず、映画自体がとても長かった。上映時間が3時間もあるのだが、後半では戦後(冷戦中)の聴聞会のシーンが白黒で延々と続いて、「誰が誰を政治的な罠にはめて陥れようとしている」みたいなサスペンス物語が重なり、登場人物とそれぞれの動機を追いきれなくなることもあった(なんなら少しウトウトしてしまった)。映画監督というものは概して映画にたくさん詰め込んでどんどん長くしたがり、プロデューサーは短めに仕上げようとするらしいが、最近は監督の権力が強まり映画自体もその結果どんどん長くなる傾向にある、という話を聞いたことがある。たしかにクリストファー・ノーランやジェームズ・キャメロンのような一匹狼的な監督の作品はやたらと長くなりがちなのはこの傾向が現れているのかもしれない。
原爆投下までの描写にはとても引き寄せられた。オッペンハイマーが天才物理学者として頭角を現し、理論上の可能性でしかなかった原子爆弾をどのようにして実現するに至ったのか、人類が未だかつて手に入れたことのない力を生み出せるというある種の興奮をもって開発に打ち込む物理学者たちが描かれている。そして原爆実験のシーンの特殊効果は言うまでもなく、ハラハラさせられる映像と音響の連続だった。
最初の原爆実験のトリニティが映画の半分を過ぎたあたりで描かれ、そのしばらく後に日本の市民へ原爆が投下され、オッペンハイマーが英雄として祝福される。そのシーンではオッペンハイマーのみが、人類がとんでもない武器を手に入れてしまったことをはっきりと理解しており周りに祝われる中、1人蒼白としているという印象的なシーンだった。
「長すぎる」と感じたのは、映画の1/3ほどを占める戦後の部分である。戦後のシーンでは、オッペンハイマーが共産党員ではないかなどの疑惑や議員の私怨から、権力の場から引きずりおろされていく姿がじっくりと描かれる。「自らの発明に苦しめられる悲劇の科学者」として見せたかったのだろうが、そのストーリーにあまり感情移入することが難しかった。これこそ日本人だからこその感想なのかもしれないが、原爆投下により10万人以上の犠牲者が出て、生き延びても放射線による被害に苦しむ人々がいるなかで、それの開発者が1人苦悩しキャリアから引きずり降ろされたところで別にどうでもいいじゃん、と思ってしまうのである。この前提の意識がある限り、ラストの1時間はどうでもいいと感じてしまった。
また、日本の描写は一切なかった。原爆の映画でも日本の映画でもなく、オッペンハイマーが主題なのでそれは特に問題ないだろう。それだからこそ、日本に原爆が落とされたことが伝えられ、研究所の全員が大喜びするシーンは、とても不気味である。
結局アメリカ人が主要な観客なのでアメリカ人の機嫌を損ねるとまずいので、アメリカという国に対してにあまりにもネガティブな描写はないし、投下された国の描写もない。日本で公開されたとしても、ラスト1時間でモヤモヤしてしまう人は多いのではないかと思った。
2024年3月のメモ:この記事はもともと2023年の7月に書いたものの特に公開もせず草稿状態のままだったのですが、最近アカデミー賞で作品賞を受賞したり日本公開が予定されていたりとまた話題となってきているため、手を加えた上で2024年3月からブログ記事として公開したものです。(便宜上草稿を書いた日をブログの投稿日としてあります)
□